うを市 @京橋 寿司 明治時代の創業のお店 ▽片町全店行ってみた。25店目&ランチ022

片町1丁目最終店舗!25店舗目w
最終店舗にしてラスボス!
明治時代に創業!100年以上の歴史あるお寿司屋さん「うを市」です!

場所は片町交差点の東側。
まさに旧JR片町駅前です。昔は駅前酒場的にもっとたくさんのお店があったとのこと。

※看板では店名の「を」は旧字で変体仮名の「越」で表記されています。


夜はちょい飲みセットがあります。

「夜のお得なセットメニュー」を注文!



まずは大将のこだわりのビール。



「鉄火巻き」



「刺身盛り合わせ」

以上で税込1500円ポッキリ!

大将から昔話をいろいろと聞かせて頂きました。
現在の大将で4代目。5代目の息子さんと一緒に働いておられます。

寿司屋としての創業は正確な年は不明。明治時代の創業でアバウトで百数年前w
その前は江戸時代から片町に存在した「雑喉場(魚)市場」で魚屋をやっていたらしい。
先祖を遡れば少なくとも600年くらい前から片町に住んでいたそうです。
600年前って室町時代やん∑(゚Д゚)!

雑喉場市場は石山本願寺の頃にはあったそうだ。
豊臣秀吉の大坂の町作り以前の時代からこの辺りに人が住んでいたんですね!まさに片町の歴史です!


魚市場発祥の地としては片町1丁目の本物の京橋のたもとに石碑があります。
この魚市場は時代とともに移転集約して現在の中央卸市場になってるんだよな。

大将はちょうど還暦くらいのお年。
子供のころはまだ鯰江川が店の東側を流れていた時代。
京阪電車も地面を走り、ちんちん電車も走っていたそうです。


ちなみに「うを市」の東隣の自転車置場と奥の公園は斜めの土地で変な形。
実はこれは鯰江川の川跡なのです。

そして20年前にJR片町駅が無くなってからすっかり寂れてしまったと(>_<)

料理とお酒を追加!



「鱧おとし」
酢味噌で頂きました。

日本酒も色々とあります。



「手作り純米酒 光武」

佐賀のお酒。
純米酒の賞をとったとかでフルーティ!



「大吟醸 極醸 嘉多屋」
こちらも世界大会で優勝したとか。
福岡の八女のお酒。
なめらかまろやかなお酒で美味し〜( ̄▽ ̄)!


壁には大相撲の大入り袋がいっぱい。

今日もおいしかった。
ごちそうさまでしたヽ(^o^)丿

******** ランチ *********

「うを市」はランチも人気です。

頂いたのは日替わりメニュー!

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「天丼」750円!
タネがいくつあるんだろ!?


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他にもランチメニューは種類がたくさん。
どれもボリューム&お得な料金設定w
お昼はサラリーマンでにぎわっています。


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お昼は大将と女将さんとバイトのおばあちゃん。
2階には座敷もあり宴会もできるそうです。

今日もおいしかった。
ごちそうさまでしたヽ(^o^)丿


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そしてまたまたランチを。


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「寿司うどんセット」

大将が身体の調子がよくないとの事。
心配です(>_<)

******** ランチ *********

久しぶりにランチ。


5代目になってランチメニューが少しかわりました。
どれもかなりリーズナブル!


「生本まぐろ丼」700円税別!


1貫100円から!
お手頃価格の庶民にやさしいお店は変わってませんね。

今日もおいしかった。
ごちそうさまでしたヽ(^o^)丿

********   *********

「column:片町駅」


東西線工事開始に伴う片町駅舎解体後につくられた仮駅舎。

(片町駅廃駅)
大将から片町線の廃線と東西線開通にあたり、JRと住民とのやりとりの様子を教えて頂きました。
「大阪城北詰」という駅名はやはり納得されてないようす。JRが大阪城という知名度にあやかって住民の反対を押し切って付けたらしいです。

当時のJR側の説明は
1、新しい駅の住所が「片町」ではなく「網島町」にあたるので「片町駅」とつけられない。
2、「網島町」は全国的に知名度が低いので、全国の人が分かりやすい「大阪城北詰駅」にした。

とのこと。

大阪城に観光にくる人で「大阪城北詰駅」で降りる人は誰もいないんだけど、、(ー ー;)

かつては名古屋、伊勢方面のターミナル駅として栄華を誇った片町駅も今や東西線の中で乗降客最低の駅に(>_<)

お堀に架かる本物の橋梁の「京橋」とJR「京橋」駅は1km以上離れています。(その間に片町駅もあった)
明治時代に知名度にあやかってJR環状線(当時は大阪鉄道 城東線)の駅名を「京橋」駅と名付けました。
「大阪城北詰」駅もそのやり方と全く同じです。

今では京橋と言えば京橋駅を中心とした飲屋街。
もともと京橋駅は明治28年に環状線が完成した時に先に開通していた片町線の片町駅へと乗り換える為に作った駅なのです。
なので当初は環状線の京橋駅と片町線の片町駅を乗り換えていました。(少し離れていたのを歩いていた)

つまり、環状線(当時は城東線)の駅名を「京橋」駅と付けたのはかなり????な話。
片町駅を越えて遠くにある橋の名前を付けたのだからなぁ。
乗り換え用の駅なら「片町」駅でもよかったハズなのに。

(京阪電車の事情)
京阪電車は明治43年の開通当初に天満橋駅と片町駅の間に京橋駅を設置しました。
つまり橋梁の本物の京橋の横に駅があったのです!!
まさに京橋駅と名乗るに正しい場所です!
すでに環状線の京橋駅が設置されていましたが全くブレず!京阪電車は正しい!

しかし、初代京阪京橋駅は天満橋駅と片町駅とどちらにも近すぎるからと、8ヶ月で廃駅….orz。
さらに20年後、京阪電車は国鉄との乗り換え用に蒲生駅(現在のライフの南側辺りにあった)を移転して環状線「京橋」駅近く(グランシャトーの前)に駅を設置。
その名前を京阪「京橋」駅と名付けた!!??
京阪電車が「京橋」駅と名付けた理由は国鉄「京橋」駅との乗り換えを分かりやすくする為と。

なんでやねん!!!!

JRだけでなく、京阪までも、、。
ちなみに京阪片町駅は1969年の京阪電車の高架化に伴い廃駅、、、。今の片町交差点の横にありました。
かつては片町駅はターミナルとして、大阪市電、京阪、国鉄が乗り換えできたのです。

今では何にもありませんが、かつて片町駅はかなり重要な駅だったのです。

大阪ー名古屋間の鉄道は国鉄と民間鉄道が競争していました。
片町駅を出発し、亀山経由の現在の関西本線ルート。
大阪駅を出発し、関ヶ原を通る現在の東海道線ルート。
この2ルートが時間や運賃で競争していたのです。
日露戦争により民間会社も国有化されて競争は終わります。

※関西本線はその後に難波駅始発に変更となっています。

今では何にもありませんが、、、。

しかし、住民としては片町を盛り上げていかねばなりません。
片町商店会もまだ存在はあるらしいのですが、古い体制で新しいお店は参加していなく、現在は機能していないとか(>_<)

最近、片町交差点周辺に新しい若い店主のお店が増えてきているだけに共に手を組んで盛り上げて欲しいですね。